元バンカー&現役デイトレーダーによる不定期更新。主に修論の副産物を投げつけていきます。

by すーさん

列伝第十四 目次

李文忠 鄧愈 湯和 沐英

 論賛、明朝開闢の諸将では、六王が筆頭に挙げられる。ただ優れた功績を残しただけに留まらず、またその忠誠を契りを交わした主君に捧げた事が明白だからである。親密さでは岐陽王(李文忠)に及ぶ者は居らず、古くからの付き合いでは東瓯王(湯和)に及ぶ者は居らず、寧河王(鄧愈)・黔寧王(沐英)は何れも英気盛んな年頃に腹心の部下となった。戦場で活躍して功績を挙げ、偽り無く尽力して二心を抱かず、王侯の旗幟は燦々と輝きを放ち、一点の曇りも無いのである。岐陽王は詩文を詠い礼節を説いて儒者を重用し、東瓯王は引退を請うて私邸へ帰り、聡明にして自身を全うした事は、一際目立って余人の及ぶ所では無い。ただ黔寧王だけは、遐荒の地に威勢を轟かせ、代々封爵を賜ったので、名声は明朝の治世と共に在った。一方、寧河王は労苦を顧みず全力で奔走したものの、功績の規模にも関わらず早逝し、その後嗣は特記すべき事績に乏しい。諸王の恩沢には、特に著しい盛衰が有ると論者は言うが、しかしながら中山王(徐達)の家系に徐増寿あり、岐陽王の家系に李景隆あり、その偉大なる先人に遡れば、遺憾に思わないでも無い。待遇が等しくなくとも、またどうしてその幸や不幸を判断するなど出来ようか。
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by su_shan | 2016-09-08 19:23 | 『明史』列伝第十四