元バンカー&現役デイトレーダーによる不定期更新。主に修論の副産物を投げつけていきます。

by すーさん

列伝第十二 目次

拡廓帖木児 蔡子英 陳友定 伯顔子中 等

把匝剌瓦爾密

 論賛、洪武九年に方谷珍が没し、宋濂が勅を奉じて墓碑を撰した時、当代の群雄は全てその名を直に記したのであるが、ただ察罕帖木児に至っては、斉国李忠襄王と呼んだので、順逆の道理が明らかであることを見て取ることが出来るのである。拡廓帖木児は百戦を経ても屈せず、先人の遺志を継ごうと欲したが、恨みを抱いて没した。陳友定は何真の様に生き永らえることをせず、梁王は納哈出(ナガチュ)の背国を恥としたので、みな元朝の忠臣なのである。『詩経』は「その進むべき道は一つ、固く心に決めている」と言い、『易経』は「度を越した節制に悔いは無くなる」と言う、それは伯顔子中・蔡子英のことである。嘗て元朝の塞外北帰について、その時付き従った臣下の中に必ずや沙漠の表に於いて式微の章を誦じた者が居たのであるが、惜しくもその姓字は跡形も無く消えてしまい、今や世間で目にすることは出来ない。それが仮に蔡子英の様な人物であったとしたら、また何と不幸なことであろうか!
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by su_shan | 2016-08-16 15:41 | 『明史』列伝第十二