列伝第十三 目次
2016年 08月 12日
徐達 常遇春
論賛、明王朝の太祖(朱元璋)が滁陽の地より奮起して、四方を平定することが出来たのは、天より授かりしものとは言えど、二王の力に依る所が大きいであろう。中山王(徐達)は慎重にして思慮深く、自らの功績を喧伝することは無く、古来よりこれに勝る名臣は存在しない。開平王(常遇春)は敵陣に突入すること、向かう所は必ず勝利を収め、その智勇は中山王に劣ること無く、忠実かつ謙遜、よくその功名を保ち、元勲の最上位たることを許された。身を日月の下に晒して封爵を受けるに、まさに二王の如くは栄誉の極致と言うべきである。中山王の恩賞を受け継いだ後裔を顧みるに、代々寵愛を貪ることが出来た一方で、開平王の天寿は永からず、その子孫もまた衰微していった。地位勲功は同等にありながら、成果の享受は分かたれてしまった、それは何故か?嘗て太祖が諸将に対して語ったことがある。「将たる者は妄りに人を殺さない、それはどうして国家の利益に止まることがあろう、汝らの子孫もまた福徳を受け取ることが出来るのだ。」正にその通りであろう、将帥たる者の模範とすべきである。
論賛、明王朝の太祖(朱元璋)が滁陽の地より奮起して、四方を平定することが出来たのは、天より授かりしものとは言えど、二王の力に依る所が大きいであろう。中山王(徐達)は慎重にして思慮深く、自らの功績を喧伝することは無く、古来よりこれに勝る名臣は存在しない。開平王(常遇春)は敵陣に突入すること、向かう所は必ず勝利を収め、その智勇は中山王に劣ること無く、忠実かつ謙遜、よくその功名を保ち、元勲の最上位たることを許された。身を日月の下に晒して封爵を受けるに、まさに二王の如くは栄誉の極致と言うべきである。中山王の恩賞を受け継いだ後裔を顧みるに、代々寵愛を貪ることが出来た一方で、開平王の天寿は永からず、その子孫もまた衰微していった。地位勲功は同等にありながら、成果の享受は分かたれてしまった、それは何故か?嘗て太祖が諸将に対して語ったことがある。「将たる者は妄りに人を殺さない、それはどうして国家の利益に止まることがあろう、汝らの子孫もまた福徳を受け取ることが出来るのだ。」正にその通りであろう、将帥たる者の模範とすべきである。
by su_shan
| 2016-08-12 12:00
| 『明史』列伝第十三