元バンカー&現役デイトレーダーによる不定期更新。主に修論の副産物を投げつけていきます。

by すーさん

范常

『明史』巻一百三十五、列伝第二十三

 范常、字を子権、滁州の人。太祖(朱元璋)が滁州に宿営していた時、杖をつきながら軍門に訪れた。太祖は早くからその評判を知っていたので、共に語り合って意気投合し、幕下に留め置き、疑義があれば質問したが、范常はその全てに回答してみせた。諸将は和州に勝利したが、兵の紀律が乱れていた。范常は太祖に言った。「一城を得ても、人の臓物を地にぶちまけていては、どうして大事を成せましょうぞ?」そこで太祖は諸将を叱責し、軍中に誘拐されていた婦女を探し出し、家に帰したので、民衆は非常に喜んだのである。太祖の四方には他勢力が割拠していたので、兵事に明け暮れて平穏な日など無く、范常に命じて文章を書かせ、上帝に祈祷を捧げた。その辞は次の通りである。「今、天下は紛糾し、人民は塗炭の苦しみを味わい、人心は定まらず、あらゆる物品が失われております。もし元朝の治世が終わらないのであれば、群雄は早々にその罪に服すべきであり、私もまた群雄の中に居りますので、私から願い出ることでしょう。もし既に元朝の徳に倦んでおられるのでしたら、天命を有する者はこれを返上すべきであり、民衆を長い困窮に陥らせてはなりません。存亡の岐路は、三ヶ月以内に現れるでしょう。」太祖は自身の意志を表現した文章を喜び、文書の管理を命じ、元帥府都事を授けた。太平路を奪取すると、知府を命じ、これを諭して言った。「太平府は我が股肱の郡ではあるが、その民衆は戦乱によってしばしば困窮させられているので、適切に処置を行わなければならない。」范常は簡明な統治を心掛け、学術を振興し民衆を恵んだ。官倉に数千石の穀物が備蓄されていたので、種苗が乏しい者に支給するよう要請し、秋には収穫を官倉に回収したので、官民ともに充足した。在任三年の間、民衆には親の様に慕われ、召還されて侍儀となった。
 洪武元年に翰林院直学士兼太常寺卿に抜擢された。洪武帝(朱元璋)は必死になって礼文を稽古した。群臣が議堂に集まり、意見が纏まらないことがあると、范常は上手く意見を摺り合わせ、上意に沿う様にした。次いで病を得たので帰郷を許された。一年余りにして、直筆の詔書で宮殿に召し出され、元の官職に就いた。洪武帝は宴席の間、儒臣に命じて座を並べ賦詩を作らせて遊んだ。范常は常に最初に出来上がり、語句も多かった。洪武帝は笑いながら言った。「老范の詩は質朴であるな、まるでその為人の様ではないか。」起居注に遷った。范常は足を患っており、何度も休暇を取ることがあったので、安車を賜った。次いで帰郷を願い出たので、洪武帝は賦詩四章でこれを送り、太平府に邸宅を賜った。子の范祖は、雲南布政使司左参知政事まで歴任し、清廉潔白との評判があった。
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by su_shan | 2016-08-20 20:00 | 『明史』列伝第二十三