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by すーさん

郭景祥 李夢庚

(本伝は原書に基づき郭景祥と李夢庚の伝を分割せずにお届けしております)

『明史』巻一百三十五、列伝第二十三

 郭景祥、濠州の人。鳳陽県の李夢庚と共に長江渡河に従い、文書管理を掌り、謀議を補佐し、それぞれ江南行中書省左右司郎中に任じられた。両名共に浙東分中書省に派遣され、次いで再び共に大都督府参軍となった。郭景祥の為人は実直で、幅広く経書と史籍に通じ、事ある毎に口を挟んだので、太祖(朱元璋)はこれを信任した。嘗て次の様に言ったことがある。「郭景祥は文官ではあるが、折衝禦侮(※1)の才能があるので、我に忠節を尽くすのであれば、大任を任せられようぞ。」これより以前、滁州・太平路・溧陽州に勝利した際に、城郭が不完全であったので、郭景祥に命じてこれを修繕させた。間も無く和州の守臣が言うには、州城は長らく廃城になっているとのことであったので、郭景祥に命じて調査を行わせた結果、跡地に築城することになり、三ヶ月にして工事は完了した。太祖は能力を認め、和州総制を授けた。郭景祥は更に城郭や櫓を整備し、屯田を広げ、兵卒を訓練し、威光や人望は粛然としていた。こうして和州は重鎮となり、璽書によって功績を賞賛された。最後は浙江行中書省参知政事となった。
 謝再興が諸全州を鎮守していた折、その部将が呉(張士誠)の地との境目で密貿易を働いていた。太祖は激怒してその部将を処刑し、謝再興を召還して叱責し、李夢庚を諸全州に派遣して軍事を統括させた。謝再興が鎮に戻ると、自分の上位に李夢庚が置かれたことに腹を立て、遂に叛き、李夢庚を捕らえて呉に投降したことにより、李夢庚は死んだ。その当時、行中書省の官僚には、また毛騏・王濂といった人物が居た。

【注釈】
(※1)折衝禦侮、折衝とは攻撃してくる敵の武器を挫くこと、禦侮とはこちらを侮ることを防ぐこと。すなわち敵の攻撃を防いで、相手を恐れされること。
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by su_shan | 2016-08-21 23:18 | 『明史』列伝第二十三