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by すーさん

列伝第十五 目次

李善長 汪広洋

 論賛、明朝初期には中書省を設け、左右の丞相を置き、政務の中枢を管領し、勳功の臣を充ててその任を領有させたのである。しかしながら、徐達や李文忠は何度も征討の命を受け、中書省の政務を専念して監督する事は無かった。そもそも従容として丞輔の任を務めた者は、李善長と汪広洋と胡惟庸の三人だけである。胡惟庸の粛清後、丞相の地位は廃止されて二度と設けられる事は無かった。故に明朝一代を通して、李善長と汪広洋だけが丞相と称するに値するのである。ただ惜しむらくは、李善長は平民の出身でありながら、よく草昧の世の当初に主君を択び、力を合わせて身を捧げ、一大事業を賛助し、遂に封爵の栄誉を得て、その地位は公爵の上位に列せられ、或いは富貴の極致を謳歌したものの、晩年には自ら滅び去ってしまった。汪広洋はよく謹んで保身に努めたものの、悪人を告発して災禍を回避する事まではできなかった。両名共に重い処分を下しながらも、丞相を任じた頃の初志を背負い、慚愧の念から諸々の左右の官職を置いたのではなかろうか。
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by su_shan | 2016-12-25 15:39 | 『明史』列伝第十五