元バンカー&現役デイトレーダーによる不定期更新。主に修論の副産物を投げつけていきます。

by すーさん

李新

『明史』巻一百三十二、列伝第二十

 李新、濠州の人。長江渡河に従い、何度も戦功を挙げた。竜湾に戦い、管軍副千戸を授かった。江陵県を奪取し、竜驤衛正千戸に昇進した。平江路に勝利すると、神武衛指揮僉事に異動し、茶陵衛の守備に派遣され、数度の異動を経て官位は中軍都督府都督僉事に達した。(洪武)十五年、孝陵の造営を担当した事で、崇山侯に封じられ、食禄千五百石とされた。(洪武)二十二年、鶏鳴山の帝王廟の建て替えを命じられた。李新は予め精緻な計画を用意したので、将作担当の官吏は計画通りに工程を進めるだけであった。翌年には郷里へ帰され、金帛や田宅を賜った。
 当時、勲功の臣には度を越して身勝手に振る舞う者が現れ、洪武帝(朱元璋)はそれを苦々しく思い、党案に連座する者が続出した。李新が最初に申し立てた事には、公爵・侯爵の家人及び儀従戸はそれぞれ定数を設け、それを超えた者については官署に処置を委ねるべきである、というものであった。洪武帝はその案を認め、鳳陽府から人員を徴発して新たな戸籍下で民とし、礼部に命じて『稽制録』を編纂させ、公侯の奢侈や狼藉を厳禁した。こうして武定侯郭英は佃戸を返上して納税し、信国公湯和は儀従戸を返上し、曹国公李景隆は荘田を返上したが、これらは全て李新の建言が切っ掛けとなったものである。(洪武)二十六年、官署を監督して溧水州に於いて胭脂河を開削し、西は長江と接続し、東は両浙地方に連絡させる事で、漕運を活性化させようとした。運河が開通すると、民衆の利便性は飛躍的に向上した。(洪武)二十八年、ある事案によって誅殺された。


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by su_shan | 2017-03-19 22:46 | 『明史』列伝第二十