元バンカー&現役デイトレーダーによる不定期更新。主に修論の副産物を投げつけていきます。

by すーさん

花茂

『明史』巻一百三十四、列伝第二十二

 花茂、巣県の人。当初は陳野先(陳エセン)に従い、次いで帰順した。江左平定に従軍し、陳友諒を滅ぼし、中原・山西・陝西を平定し、功績を重ねて武昌衛副千戸を授けられた。西蜀に遠征すると、瞿唐関に勝利し、重慶路に入城し、左・右両江及び田州を陥落させ、神策衛指揮僉事に昇進し、広州左衛に調遣された。陽春県・清遠県・英徳州・翁源県・博羅県の諸山寨の叛蛮及び東莞・竜川諸県の乱民を平定し、指揮同知に昇進した。電白県・帰善県の賊を平定し、また都指揮同知に異動し、世襲指揮使となった。しばしば連州・広西・湖広の瑤族を掃討した。花茂は提案した。「広東の南側は大海に面し、奸賊が出没し、東莞・筍岡諸県の逃亡した蜑戸は、海島に居付き、官軍に遭遇すれば偽って漁民と称し、蛮族と遭遇すれば共に掠奪を働き、唐突なること常ならず、摘発が困難でございます。戸籍に登録して兵員とするに越した事は無く、願わくば御裁可いただきますよう。」また沿海地方では山に拠って広海・碣石・神電等の二十四衛所を設置し、城を築き池を浚い、海島の逃亡者や無戸籍者などを収容して軍とし、山海の要害の地に堡塁を立てて軍を駐屯させ、不慮の事態に備えるよう提案したところ、全て許可された。都指揮使に昇進した。しばらくして没すると、安徳門に埋葬される名誉を賜わった。
 長男の花栄が職位を継承した。次男の花英は決断力に優れ意志が強く、父に似ていた。戦功によって広東都指揮使となり、永楽年間に名声を得たのであった。


[PR]
by su_shan | 2017-06-12 20:46 | 『明史』列伝第二十二