元バンカー&現役デイトレーダーによる不定期更新。主に修論の副産物を投げつけていきます。

by すーさん

王愷

『明史』巻二百八十九、列伝第一百七十七、忠義一

 王愷、字を用和、当塗県の人。経史に精通し、元朝の府吏となった。太祖(朱元璋)が太平路を突破すると、召し出されて掾属となった。京口攻略に従軍し、新たに帰順した民衆を慰撫した。中書省が開設されると、登用されて都事となった。杭州路の苗軍数万人が投降すると、厳州府の境界で待機するよう命じた。王愷が急行してこれを諭し、その将帥を伴って帰投した。太祖が衢州路に勝利すると、総制軍民事を拝命した。王愷は城壁を増築して濠を浚い、警戒部隊を設立し、壮丁を登録し、一万人余りを集めた。常遇春が金華府に兵を駐屯させていた時、その部将が民衆に狼藉を働いたので、王愷は拘束して諸市で鞭打った。常遇春が王愷を詰問すると、王愷は答えた。「民衆は国家の根本でありますから、一部将を鞭打って民衆を安心させるのは、将軍にとって喜ばしい事なのですよ。」常遇春は王愷に謝罪した。当時は飢饉や疫病が流行していたので、王愷は官倉から粟を供出し、恵済局を設け、数え切れない程の民衆が生き延びた。学校は廃れていたので、衢州府管内の孔子家廟と共に修繕を加えて一新した。開化県の馬宣・江山県の楊明が立て続けに叛くと、前後して討伐し、これを捕縛した。
 左司郎中に異動すると、胡大海を補佐して省内を統括した。苗軍が叛くと、胡大海が殺害された。苗軍の将帥の多くは王愷を慕っていたので、彼を連行して西進しようとした。王愷は厳しい顔色で言い放った。「吾は国土を守る者、義として死ぬならともかく、賊になど従うものか!」こうして子の王行と共に殺害された。四十六歳であった。
 王愷は謀術と決断に優れていた。以前、ある進言を行った時、聞き入れられないでいると、退出して戸外に立ち、夕方になっても立ち去ろうとしない事があった。太祖が外出すると王愷を見出し、訝しんで理由を尋ねたところ、当初の進言を繰り返したので、遂にその提案を受け入れたのであった。後に奉直大夫・飛騎尉を贈られ、当塗県男に追封された。


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by su_shan | 2017-06-19 16:37 | 『明史』列伝第一百七十七