元バンカー&現役デイトレーダーによる不定期更新。主に修論の副産物を投げつけていきます。

by すーさん

孫貴妃

『明史』巻百十三、列伝第一

孫貴妃


 成穆貴妃孫氏、陳州の人。
元朝末期の兵乱に巻き込まれ父母と死別し、次兄の孫蕃を頼って揚州へ移り住んだ。
青軍(※1)が揚州を占拠すると、元帥馬世熊(※2)に見出され、養女となった。
十八歳のとき、太祖のもとへ納められた。
太祖が洪武帝として即位するに及んで、孫氏は貴妃に封じられ、諸妃の上位に列せられた。
洪武七年(1374)九月、三十二歳の若さで病没した。
子は無かったが、太祖は周王朱☆(※3)に三年間の服喪を命じ、
東宮(※4)、諸王には一年間の服喪を命じた。
庶子であっても三年間は母の喪に服し、諸子が一年間義母の喪に服す慣例は、
孫貴妃のときに始まった。
兄の孫瑛は三百石の田祖を下賜され、毎年供養に供された。
孫貴妃は褚岡に埋葬されたが、太祖の死後は孝陵に附葬された。
孫貴妃の死に際して、太祖は儒臣に勅して『孝慈録』を作らせたという。


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※1 青軍 : 元朝の義勇兵団。紅巾の賊徒に対抗するために青軍と称すことが多かった。
※2 馬世熊 : 『皇明開国功臣録』巻二十四によると、濠梁の出身。
          至正十七年(1357)に太祖に帰順したとある。
※3 朱☆ : 朱シュク(木ヘンに粛)。太祖の第五子。生母は不詳。
※4 東宮 : 皇太子朱標のこと。
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by su_shan | 2008-08-16 20:04 | 『明史』列伝第一