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by すーさん

カテゴリ:『元季伏莽志』巻九( 1 )

張良弼附 弟良臣附

『元季伏莽志』巻九、盗臣伝、李思斉・張良弼附・弟良臣附の後半部分。
本稿は番外編になります。

 張良弼、字を思道、陝西の人。李世賢の起義に従った人物である。挙兵当初、元朝は宣慰使の官位を授け、至正十八年四月には察罕帖木児(チャガンテムル)・李思斉と共に鞏昌府に於いて李喜喜を討った。李喜喜は敗北すると蜀へ逃れたので、張良弼は兵を秦州に留め、後に李思斉と共に拝帖木児(バイテムル)を謀殺し、各々がその兵を吸収した。(至正)二十一年十一月、察罕帖木児・李思斉は兵を派遣して鹿台を包囲し、張良弼を攻撃したが、詔によって和解した。(至正)二十二年、朝廷は李思斉・張良弼の不和を鑑みて、李思斉に対して張良弼討伐の詔を発した。三月、李思斉の兵は武功県に到達したが、張良弼は伏兵を用いてこれを撃破した。(至正)二十六年二月、拡廓帖木児(ココテムル)は各地の兵馬を徴発したが、張良弼は率先して命令を拒み、更に李思斉らと兵を合流させた。七月、拡廓帖木児は関保・虎林赤(フリンチ)を派遣して兵を合わせて黄河を渡り、竹貞・商暠と合流し、李思斉と協約して張良弼を攻撃した。張良弼は李思斉に子弟を人質として差し出し、援助を求めた。李思斉は詔を要請して和解した。(至正)二十七年正月、張良弼は李思斉・脱列伯(トレバイ)と含元殿跡地に会合し、李思斉を盟主に推戴して共同して拡廓帖木児に抵抗した。七月、李思斉は張良弼らを派遣して兵を華陰県に駐屯させた。八月、皇太子が全国の兵馬を総制すると、張良弼に対して禿魯(トルク)・孔興・脱列伯らと共に襄樊地方を奪取するよう命じた。十二月、張良弼らに詔して各軍の兵馬を総括し、軍勢を合流させて東進し、協調して王事に勤めるよう命じたが、張良弼らはみな命に従わなかった。本年十月丙辰、明朝の太祖(朱元璋)は書状を用いて張良弼を諭した。その内容は李思斉伝に記載されている。(至正)二十八年二月、元朝は張良弼らに詔して拡廓帖木児を討伐するよう命じた。この時、明軍が河南府に到達した。これを受けて撤兵して西方へ退き、櫟陽に留まった。三月、明軍が河南府を奪取すると、張良弼の陣営を焼き払った。当時、張良弼は潼関で李思斉の兵と合流していたが、共に鄜城へ逃げ去った。洪武二年(※1)、李思斉が明朝に投降した後、張良弼は慶陽府を退去して寧夏路へ向かい、弟の張良臣と平章政事姚暉に命じて慶陽府を守らせ、自らは金牌張と共に拡廓帖木児に帰順した。徐達は平涼を陥落させると、慶陽府攻略を計画し、まず湯和の部将謝三を派遣してこれを説得し、また薛顕を派遣して兵を率いて慶陽府へ向かわせた。張良臣は降伏を装いながら街道の付近に伏兵を置いた。日没後、張良臣は兵を率いてその陣営を襲撃すると、明軍は潰走し、薛顕は負傷して逃れた。張良臣は勇敢で戦上手であり、軍中では小平章と呼ばれていた。慶陽城は高険であり、籠城すれば守り切る事が出来ると考えた。その兵卒もまた精悍であり、七人の養子は全員が戦上手で、軍中では「金牌張を恐れざるも、ただ七本槍を恐るべし」と言われたものである。またその兄と王保保の来援を頼り、賀宗哲(※2)・韓扎児(韓ジャル)を羽翼とし、姚暉・曽行の軍を尖兵としていた。これによって、再び慶陽城に立て籠もって叛いたのであった。徐達はその一党が混乱を煽る事を恐れ、まず兵を派遣してその連絡を遮断し、再び軍を東原に駐屯させ、諸将を分遣して城を包囲した。張良臣は竹苛を寧夏路へ派遣して救援を求めたが、環州に差し掛かった所で捕縛された。七月、王保保(拡廓帖木児)の部将韓扎児が原州を打ち破ると、また涇州を陥落させ、慶陽城に来援しようとした。馮宗異は駅馬関から兵を率いて迎え撃ち、韓扎児を敗走させた。八月、張良弼は右丞王譲らを派遣して張良臣に白衣を与えて誠意を示し、更に王保保は既に永昌路へ発った事を伝え、城を挙げて降伏させようとしたが、我が軍(明軍)に捕縛された。張良臣は何度も出撃したが戦況は好転せず、内外の連絡は途絶し、食糧が底を尽くと、死体を煮て作った汁を泥の様に丸めて口に入れる者も現れた。姚暉らは城を挙げて降伏し、張良臣父子は共に井戸へ身を投げたが、引き摺り出されて斬殺された。張良弼もまた王保保の軍中で最期を迎えたのであった。

【注釈】
(※1)洪武二年、原文は「思洪武三年」であった。『太祖実録』巻四十一、洪武二年夏四月丁丑条「右副将軍馮宗異の軍が臨洮に到達すると、李思斉は降伏した(右副将軍馮宗異師至臨洮、李思斉降)」に基づき改めた。
(※2)賀宗哲、原文は「賀宗」であった。『太祖実録』巻四十四、洪武二年八月癸未条「賀宗哲・韓扎児らを羽翼とし(賀宗哲・韓扎児等為羽翼)」に基づき改めた。

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by su_shan | 2017-04-29 10:49 | 『元季伏莽志』巻九