元バンカー&現役デイトレーダーによる不定期更新。主に修論の副産物を投げつけていきます。

by すーさん

カテゴリ:『元季伏莽志』巻二( 1 )

毛貴

『元末伏莽志』巻二、逆党伝
本稿は番外編になります。

 毛貴は紅巾軍の首領である。至正十七年、劉福通は毛貴を派遣して山東を掠奪させた。二月壬申、毛貴は膠州を陥落させ、僉枢密院事脱歓(トゴン)が敗死した。太不花(タイブカ)は白衣を以て報告し、湖広行中書省右丞相を拝命して毛貴を討伐した。三月、毛貴は莱州を陥落させ、守臣の山東宣慰副使釈嘉納が敗死した。甲午、毛貴は海路より海船を得て、長駆して侵入し、遂に益都路を撃破した。益王買奴は遁走し、以後、山東の郡邑は全て陥落した。丁酉、毛貴は浜州を陥落させた。四月丁卯、莒州を陥落させた。六月、劉福通は兵を三路に分け、毛貴は田豊と合流して大都へ向かった。至正十八年正月、知枢密院事不蘭奚(ブランシ)は好石橋の戦いで毛貴に敗北し、済南路へ敗走した。二月己巳朔、毛貴は滄州を陥落させ、遂に長蘆鎮を拠点とした。癸酉、済南路を陥落させ、守将愛的(エデイ)を殺害した。賓興院を立て、元朝の旧官である姫宗周らを登用して諸路を分守させた。また莱州に三百六十ヶ所の屯田を立て、屯田はそれぞれ三十里を離し、荷車百台を製造して糧儲の運搬に用い、官田・民田は収穫の二割を徴収するに止め、冬季は陸運に頼り、夏季は水運に頼った。軍が南皮に到達すると、元朝の元帥董搏霄を殺害した。三月庚戌、薊州を陥落させた。元朝は四方から兵を徴発して入衛させた。乙卯、漷州に侵入し、棗州に到達し、枢密副使達谷珍が戦死した。遂に柳林を掠奪し、同知枢密院事劉哈剌不花(劉カラブカ)が兵を率いてこれを撃退すると、退却して済南路を拠点とし、再び山東を拠点とし、河間路から直沽へ向かい、首都に迫ったので、大都の内外は震撼した。中書省左丞太平は劉哈剌不花を起用して共に彰徳路で交戦し、柳林の戦いで賊軍を撃破したことで、首都の安全は守られた。八月辛巳、義兵万戸王信は滕州を挙げて叛き、毛貴に降伏した。(至正)十九年、芝麻李(李二)の部将であった趙君用は毛貴の下に奔った。四月甲子、毛貴は趙君用に殺害された。毛貴の一党であった続継祖は遼陽路から益都路に戻り、趙君用を殺害した。一党は毛貴の幼子を総兵に祭り上げ、山東を守った。明祖(朱元璋)は何必聚を山東へ派遣し、毛貴の為に羹飯を焼いて弔う一方で、中原の情勢を探らせた。小毛平章は若くとも聡敏であり、何必聚を厚遇し、金盒に玉帯を盛って謝礼したのであった。

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by su_shan | 2017-06-03 11:58 | 『元季伏莽志』巻二